緊急事態宣言の最中にスマホ買い換えして気付いたこと.ー大学のオンライン講義と対面講義ー

オンライン(オンデマンド)でどこでも学べる,となったら教育が安くなる,という話も聞きますが,実はこれまでただで公開していたものに価値があると判り,安くとも切り売りで有料化が進むんでは,と思っています.但し収益化出来るかどうかは教え方が上手い人とか人気分野に限る.

 オンライン学習は結局学ぶ意思のある人しかクリックしないんで,キャンパスに来て漫然と講義を受けて,という人は例え無料だったとしても,わざわざサイトに行ってその講義を聞かないですよね.

 大学でも,MOOCとかCourseraとかで受講した単位が一部学位で認められる様になれば,トータルの費用は安くなるかと思いきや,実習実験系の多くは対面でせざるを得ないですし,ネットで学べるものをわざわざ教員に直に教われる,という対面講義の総体的な付加価値化がおこり,また登校に伴うCOVID-19対策費用がキャンパス設備費に上乗せされ,結局授業料更に値上げ,ということもアメリカならあり得る,と思っています.教える内容は同じなんですけどね.

 大学は学費を値下げしないor値上げの言い訳が出来るわけですが,教員(常勤も非常勤も)は予備校講師みたいな教え上手な人とか,メディアに出てて有名だとかノーベル賞だとかそういう人の講義ビデオを買って流せば良くなっちゃったりして,そういうスター教員には出演料&リアルタイムのQ&Aとか課題対応に高い時給を払い,教えるのが下手な人とかフツーの人は講義に関してはお払い箱になるわけです.あるいはそういう人がリアルタイム対応の下請けをするとか.そして教員はピュアに研究で評価されると.

 日本は教員の「善意のただ乗り」と世の定額使い放題信仰が根強く,なかなかスタッフの労力増加分(=人件費)を授業料に反映する発想になりにくいですが,長い目で見たら同じ事が起こる事もあり得るかな,と.COVID-19の収束にも時間がかかりそうですし.

 例えば日本は教養部解体しちゃったんで,昔は教養部の先生がやってた講義,例えば基礎物理とか基礎化学とか基礎数学とかを,今は専門の教員がやらなきゃいけなくて,その辺オンデマンドとかリアルタイムでもどこかの上手い人に頼んで一斉オンラインにしちゃえば専門科目の先生は基礎科目の講義から解放されて喜ぶと思うんですよね.でも一方で,講義に紐付いて雇用されている非常勤の先生とか,常勤でも教育で価値を見出されていたor見出していた先生はお払い箱になっちゃうとかいうことも発生します.勿論専門科目も同様になっていく可能性はあります.それが心配なんですが・・・

 ところが,座学のオンライン化が進んで行くと,逆に「うちは基礎科目も対面でやってます!」なんてのを売りする大学が出だして,「あそこの大学は面倒見がいい.対面で先生が直に教えてくれる」ってそれが売りになる.かもしれない.

 個人的な身近な例だと,携帯通信会社の代理店が減っている問題などそうですよね.あれは総務省の料金見直し命令でキャリア会社からバックマージンがもらえなくて旨味が無くなった所為だと理解しています.その一方で,スマホの使い方を無料で店員さんに教わりにお年寄りがショップに押し寄せたと.で,店は講習会などのサービスもやってましたが,無料で長時間店員が拘束されるので,ついに質問や設定には料金を取るようになった.器機販売や回線契約の「客」しか相手しないようにした.

 で,COVID-19流行の影響で店舗営業自粛や時短になってしまい,その器機購入やキャリア契約もオンライン販売に切り替わり,リアルタイムの相談もチャットや電話でとなった.更に,お問い合わせメールアドレスやお問い合わせフォームを敢えて置かないか,探しにくいところに配置し,とにかく「質問投げっぱなし」をさせなくなってしまった(メーカーあるある).

 そうなるとネットの使い方がそもそもわからない人には手も足も出ないし,そうでなくともちょっと込み入ったことを聞くなら店で直接聞いた方が早いこともあるが,それが出来ない.メールで投げて回答を待とうと思っても,その窓口にたどり着けない.やむなくチャットや電話に繋げば,何十分,何時間と待たされ,切れてしまえばまたやり直し.まあ店でも待ちますがね.

 つまり,これって,対面の価値を再認識する機会になったわけです.

 実はスマホの機種変をやむを得ず自粛期間中に行った(web申込は緊急事態宣言前だったが,機器の入荷が5月になった).数年前に店で機種変した際は手続きに2~3時間かかっていたのに,今回は1時間強.客からしても,あのかつての長時間の無駄な拘束時間は何だったんだ,と思った次第.結局バックマージンが色々付いていたときは,料金設定も複雑だったし,店側の値引きやらあれこれオプション勧誘で時間かかってたんよね.

女子高生向け理系進学イベントで,うちの女子大生に出演を願うことがあるのだが.

これが学生本人もだが,指導教員に気を使う.当たり前と言えば当たり前だが.

教員によって色々受け止め方があるからだ.しかも大抵ネガティブな方に色々.

余計な仕事を学生にさせるのがいや,(そして何と言っても)余所の講座の下っ端教員に縄張りを荒らされるのがイヤ,で,学生に頼む前にもろいやな顔する教員が多い.
こっちだって学生さんに「余計な」おしごとお願いするのは心苦しいんだけどね.

一方で,研究と違って気楽に自分の経験談を人前で話す機会を喜ぶ学生もいる.それでも教員は上記理由から必要以上に渋い顔したり,場合によっては本人の意図も無視して断るケースも.親心なんだろうけど.

 ただ今回とても気になっているのは,女子学生に「特に」気を使っているんじゃないかってこと.

昨今のアカハラ意識向上で萎縮した教員が学生に異様なほどこびへつらう様が見られるが,ホモソな工学部では,特にそれを彼らにとって不慣れな存在の女性学生にやってる向きがある.

彼らにとっては「女子学生は男子学生と違う」を前提とした特別な配慮なのだろうが,そこに本人の特性や希望は加味されず,「女の子だから」の思い込みでやっている節がある.

 結局それは彼女たちにには機会の損失となる場合がある.それも立派な「女性差別」だ.

男子学生と同じ事をさせよ,と言うのでは無い.同じだけ期待し,同じように機会を与えよ,と言うことだ.お客様=学生は神様とばかりに,特に女性客は何が地雷か分からんしうるさいから,はいはい言っとこう,とそういうことでは無い.

 それは彼女たちの成長のチャンスを奪っていることにならないか?意識がオッサンな教員達は,それに気付いて欲しい.

そして,その様な過剰な配慮は,教員の負担にもなり,まわりまわって「女子学生は面倒だから引き受けたくない」となっていく.彼女たちが悪いわけじゃないのにだ.

どうせ配慮をするのであれば,そういう思い込みによるちぐはぐな「優しさ」という名の媚びへつらいをするくらいなら,彼女たちの特異性を活かして認めてエンカレッジするくらいの事をすべきであろう.勿論,本人がやる気があるか聞いた上でだ.

もちろん,アカハラ提訴を過度に恐れる教員を都合良く利用して楽して卒業しようという学生も一定数おり,一方でそういう事例で他教員の足を引っ張ろうとか,学科間の政争の具にしようとか,単に他人の不幸は蜜の味,という教員もいる.

だからこそ守秘義務を課し一定の強制力を持つ第三者窓口を作れってずっと訴えてるんだYo!

あと,おばちゃんにはなに言ってもいいと思っている輩も浮き彫りになった.セクシズムにエイジズム,救いが無いぞ.

コロナとキャンパスライフ:自由には責任が伴うんだよね.

大学生の声を聞けぇー! ハッシュタグイベント「大学生の日常も大事だ」主催者・企画者の声から伝わる“大学生とWith コロナ”

座学は遠隔でもそりゃいいケースも多いでしょうが,キャンパスに来るってのは色々学生生活としてのメリットがあるわけで…こういう運動は大変結構と思います.

かといって,どーっと学生が来てクラスター発生,というのが大学は怖いわけで…キャンパスライフ充実と(教職員の)感染対策の両立を図るなら,講義室に研究室から講義をライブ配信,というのもあって良いと思う.ただし,この手のハイブリッド講義は教員一人では出来ない.

懸念するのは,それで大学経営側がサービスの一環としてノープランでキャンパスをオープンします,としてしまい,対策は現場丸投げ,教職員の努力にフリーライド,となること.学生は学生で,自分は外からウイルスを持ちこまない様な心がけをすること無く,自分たちが享受すべきサービスの一環としてキャンパスオープンを求める事.そして実際そうなりつつあるんじゃないかと危惧する.

不特定多数と接触するようなバイトはしない,大勢でコンパしない,ライブや旅行に行かない,キャンパス来ても他人と距離を取って小声で喋るよう心がける,大学に「キャンパスに来させろ!」と要求するだけでなく学生側にも公共施設に集まるからにはそれなりの自覚を持ってきて頂きたく.勿論教職員もね.

実際,既にキャンパスに戻りつつある卒研生や修士・博士過程,教職員の日常行動も,完璧な対策にはほど遠いとはいえ,それでもコロナ以前のままでは無い.

当然のことながら複数人の部屋ではマスクを付け,ソーシャルディスタンスという名のパーソナルスペースは拡大した.出張も,飲み会も,旅行も,全然無い.学生もバイトはしてるけど,以前より大勢で飲みに行ったり遊びに行く機会はめっきり減ったようである.自分の周りの学生は案外(失礼)考えて行動している(ホントのところは知らんけど).

女性の生来の特性が「しなやか」なわけじゃないでしょ

女性の方が往々にして適応力が高いとは思ってるんですが,それって,持って生まれた能力じゃ無いんじゃないかな〜という気がしてます.

女性の場合,男性のように一家の大黒柱!とか家を継げ!とか周囲に過大に期待されない一方で,往々にして自分の意思で自分の人生決められない,ということを子供の頃から学習してるんじゃないですかねえ.よくも悪くも与えられた境遇でやるしかないよね〜とすり込まれている分,柔軟性があるというか.

元々周囲の期待値が低いのに加え,今は昔より自由度が増えたんで,その適応力がこういう所に活かされているという・・・^.^;

家にPCが無い家庭が三割とのこと.

大学閉鎖に伴い私学学生を中心に学費返還の訴えが相次いであがっていますが,困っている学生に授業料関係の減額や猶予,奨学金の拡充はあってしかるべきと思います.日本は教育費支出が少なく,もっと次世代に投資しろとは大いに思います.それもそうなんですが,これに関しては家庭でのPC保有率の低さも大きいと思います.個人的見解ですが.

 色々な業務や申請のIT化が進んでいない中,家庭でのPCの必要性が低く,その割に値段が高いというのもあり,そうこうしているうちに,ゲーム機やスマホ(今やPC並のお値段ですが)などの情報家電ばかりが普及してしまったという背景もあるかと思います.
 で,慌てて学校でプログラミング教育を始めるわけですが,授業で習っただけでは習得は難しい.紙と鉛筆でやる他の勉強と一緒です.大学の単位の定義も,{予習(1hr)+講義(1hr)+復習(1hr)}x15で1単位です(建前化してますが),だから単位キャップ制(一年で取れる単位数上限を設ける)という話が出て来ます.

 じゃあ学校で一人一台ノートPCでもタブレットでも揃えて貸与でも配布でもしろよ,というのは当然出てきますが,そもそも不思議な話で,制服やピアニカや副教材は買わせるのに,何故PCは貸与とか配布なのか?という疑問も湧いてきます.ランドセルや制服に何万もかけるのをやめれば,安いノートPCなりタブレットなりが買えるわけで.

 PCも買わせればいいという考え方も出来ますし,逆に他の物も貸与とか配布でいいんじゃ無いの?という話にもなってくる.何が大事で,どこまでが個人負担なのか.まあ今回のオンライン化は入学時からの「お約束」毎では無いので,大学に準備金を出せ!というのも分かるのですが,プログラミング教育が標準になれば,PCもピアニカや書道の道具と同じ「お約束」,標準装備品になるかもしれません.
 少なくとも,PCやタブレットは買っておけば,学校を卒業した後も数年は使えます.最近はCPUの高速化もサチって来て,その他のスペックの高速化,大容量化,機能化もゆっくりめになり,陳腐化のペースも遅くなっています.最新版が欲しい人は買い換えるなり,自分で組めばよろしい.

 勿論,安いモノではないので,ホントに家計が苦しくて子供に用意してやれないというご家庭には貸与なり,補助なりをしてですよ.でもそれって,先述の通り,制服やランドセルも一緒の事じゃないのかしら,とも思う.

 結局子供の教育のケツを誰が持つか.皆持ちたくなかったり,持てなかったりなのかなあと.そして格差は生まれる.

ただ,遠隔講義になってギガが,PCが,ネットが,図書館閉鎖で負担が増えたと主張されますが,大学閉鎖になって定期代浮いた,と言う話は誰も言わないですね・・・幸い理系学部だとノートPCは上の学年ほどデフォルトで持っている学生も多く,そこは幸いなのですが.PCは入学時必須でいいかと.

mkepaのnoteを読んで思うこと

「研究力低下のほんとうの理由」文科省要請でのスピーチ〜全院協の要請行動2019に参加しました〜|mkepa @mkepa5 #note  https://note.com/mkepasince2019/n/n74ab97fed44f

研究は仕事じゃ無い趣味でしょには,好きなことは仕事じゃ無い,と言う意識が根底にある気が.

先日,指導教員に教えてやるくらいのつもりでやれ,とのツイートに,「なら給料くれ」というコメントがちょこちょこ付いているのをみてガッカリしたのですが・・・世間の方は座学=教育の考えが如何しても根強い.この方も研究と教育を混同してる節が・・・研究も教育の一環の側面もあり.アクティブラーニングじゃん.実験系はあなたの訓練にもお金かかるのよ,という思いもある.学生のせいじゃないけど.

ただ,院生にはもっと経済援助があるべきと思います.学部>修士>博士と授業料減らすとか.

 TAとかRAとかの枠が増えて欲しい.一方,給与出すなら一部院生の「教えてもらって当然,かまってくれて当然,やらなくても修士くれて当然」は通用しなくなる.首から下があればいい,下手すると(諸般の思惑により)数だけいればいい,という教員も減るかも知れません.

パスポートに旧姓併記が出来るようになったというので,今回更新を機にチャレンジしてみた.

が,別名併記の例を見ると,外国籍のmiddle nameや外国名の併記の例は書いてあるけど,旧姓の場合の記入例(まあ同じなのだが)は無い.県の旅券センターのサイトも然り.必要書類も案内が無い
.で,ググったら,神奈川県の旅券センターには旧姓併記の記入例と必要書類例が書かれていた.

 別姓併記無しに加えて準備すべきは,旧姓である事を証明する書類と,海外で旧姓を使用していることを証明する書類
.と言うわけで,戸籍謄本(旧姓の証明)と旧姓使ってる最近の国際雑誌の掲載論文(海外で使ってる証明)を持っていった.念のため,国際会議の概要集のコピーも.どちらも英語.

 窓口に持っていったら,論文と概要集に日本語で内容の説明を簡単に書いてくれ,と言われ.記入
.果たして一週間後,無事旧姓が( )で併記されたパスポート入手.しかし,あくまでも写真欄に併記されているだけで,ICチップには旧姓(別名)情報は入っていないとのこと.つまり,航空券の購入時にパスポートネームを記載する際は,( )は除く.

 うん,webでチケット購入の際”( )”は使用不可だったんでどうするんかと思ってたらそういうことか.

 更に,入国審査の際,( )は何かと管理官に聞かれることが多いと言うことで,英語と日本語で別名併記を説明したリーフレットを渡された.
 ここで・・・何か,わざわざ面倒臭いことしちゃったな,という気がしてきた.

 旧姓併記にしたのは,旧姓で仕事しているからというのが一番の理由だが,好奇心も若干.手続き自体は多少面倒が増える程度とも言えるが,今後10年間,海外に行く度いちいちいちいち( )は旧姓です,と説明せにゃあならんのか.まあ分かってはいたのだが.( )なんて,国際ルールじゃ無いからな
. あともひとつ気になるのは,パスポートへの別名併記には,「海外で」旧姓(別名)を使用していることを証明せねばならない,と言うこと.

 つまり,これから海外で旧姓で仕事しようとしている人は(例え国内で旧姓を使用していても),パスポートに併記は出来ないって事なのか.これについては,海外でのIDと考えれば,多少分からんことも無いが,国内で旧姓で通しているなら,海外でも旧姓OKでよいのじゃ無いだろうか.

マイナンバーや免許を旧姓併記してたら,パスポートも海外使用実績無くてもOKになるのかな.
 何にせよ面倒なので,夫婦別姓OKにするか,姓の欄を複数にするとか,middle name欄をもうけてくれ.

 戸籍謄本取り寄せも地味に面倒い.昔の藩制度じゃあるまいし,本籍地って居る?住民票で課税すんだし,住民票だけでよくね?

 出身地や親子関係も住民票に書いとけよ.大体出身地なんて,結婚して新たな戸籍作った時点で変わっちゃうし。

「STEM分野に進学する高校生が何故少ない」

「STEM分野に進学する高校生が何故少ない」

というデータとか議論とか,アカデミアに残る女性が少ないのは何故とか,と言う話はあるけれど,ロールモデルがいないとか物理や数学が苦手,と言う話になっちゃうんですよね.ある意味「女性側に原因」的な.それらは確かにメジャーな理由の一つでしょうけど・・・

そもそも「なんで自分らの分野は女性に受けないの?苦手なの?」とか,「自分らの仕事,そんなに魅力的に見えないの?」とか,ロールモデルがいないのはそもそも何故か?(女性が少ないから,ではなく,今の女性教授が少ない状況は何故なのか?)という,「こっち側に原因は無いのか?」という主体的視点が欠けてる気がしてまして・・・

 いやそういう視点を個々にお持ちの方は沢山いらっしゃるのも事実で,議論もエビデンスも解決策も提示されてるし,それに沿って委員会でも色々施策を打っているわけですが・・・

 しかしながら,業界的には現状維持バイアスが働くのか,消極的賛同というか,自分事になりそうな部分は小さく扱われている,自分事として受け止められず,結果的に回り回って女性側の所為になっている気がしてます.

 まあ,既にここ(STEM分野)にいる人間にとっては,どうして彼女らがここを選ばないのか本質的に理解するのは難しいですし,結局こっち側に今いる人は今のカルチャーの勝ち組な訳で・・・自分に益をもたらしてくれた現カルチャーをわざわざ改変するには勇気がいるし,そもそも必要性も感じないというのはあるかと思います.

 あったとしても結果的にやるべきことは(無い場合と)一緒かなとも思うのですが.